神妻神社の境内には真新しい石碑が建てられ、沿革について次のように紹介されています。
「宝亀二年(皇紀一四三〇 西紀七七〇)十一月に創立され、関野大明神、鹿島大明神、神妻大明神、または、馬主神社とも称えられてきましたが、明治六年三月に神妻神社と、改められました。」とされ、祭神は「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」で、相殿として「大国魂神」と「伊弉冉神」が祀られているようです。
「武甕槌神」が雷神とされ、雷神は水神として祀られることも多いことから考えると、どうやら神妻神社は農耕と深く関係しているようです。
神社の脇には沢が流れ水には困らないようにも考えられますが、山の斜面を耕作していた時代のことを考えると、神妻山の山頂近くに神社を勧進したのは、雨が降ることを祈る強い持ちからではないかと考えられます。