足場の悪い道を登り、旧社殿跡の平場に立ちました。旧社殿跡とは言え、ここに建てられていた玄馬(げんま)稲荷も、相川対岸の地からの遷座だったようです。
しかし、巨大な屏風のようにそそり立つ岩は神の依代となる磐座(いわくら)そのもの。その屏風岩を背にした平場は、南に対岸の出馬(いずんま)集落を見下ろす適地であることから、旧社殿が建てられる以前から何らかの神が祀られていたような気もします。
荒れた社殿跡には社殿の残骸と思われる石積みが残り、角材やトタン板が杉落ち葉に埋もれています。稲荷宝珠を刻んだ燈籠の火袋や「明治癸○歳己四月吉日」の「浄水」鉢も放置されていました。