玄馬稲荷の現在の社殿は、さらに上にあった旧社殿から下された再建されたもの。訪れる人が少なく足場が悪くなっているジグザグ道を辿れば、途中に転がる燈籠の中竿。「一廣楼松枝徳次郎 豊橋市遊郭 昭和十二年十月」と刻まれているようです。この燈籠も同じものがさらに上にありましたので、対として奉納されたものと思われます。
「一廣楼」とは、現在の豊橋市有楽町にあった遊廓の名。梅毒などの性病予防に御利益があるとして、各地の歓楽街には稲荷神社が建立されていることがよくあったそうです。
軍都として栄えたかつての豊橋にあった遊郭の主人が、そこで働く女たちの性病予防と治癒を願い、奉納したのが、この燈籠。
昭和9年(1934)11月に佐久間まで延伸開業した三信鉄道に乗り、出馬(いずんま)駅で下車してお参りに訪れることもあったのかも知れません。