さて、これは後日談。実は、前回までの記事の取材時では見つけることができなかった「第六町」の町石を、太田隆雄氏のアドバイスによる再調査によって見つけることができました。
「第六町」の町石は、私が歩いた尾根道ではなく、その下を巻いた道の方に横たわっていたのです。町石の石柱は、ほぼ真ん中辺りでポッキリと折れて倒れています。
造立は「寶暦八戊寅年十一月」。宝暦8年は西暦1758年。「第二町」の町石は宝暦6年(1756)でしたから2年後、宝暦4年(1754)の「第三十五町」の町石からは4年後の造立です。
寄進者は「當國豊田郡下山梨村 成道寺」とあり、現在の袋井市下山梨の成道寺。これが4年前(2014)に歩いた麓橋からの光明山参道ルートです。
昔の人が歩いた道を、これからも歩いてみようと思います。