光明山参道を登る⑨―五十町、四十七町、四十五町の町石と「光」の角字

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2018年02月26日 04:57

 帰りは、以前、町石があるのを確認した道。「第五十町」「第四十七町」「第四十五町」の町石が残っています。

第四十五町

第四十七町

第五十町


 「第五十町」は「干時寛保壬戌八月」とあり、寛保2年(1742)8月の造立。「第四十七町」は「明和四丁亥年十一月 當國豊田郡中野町 村越○○」で、明和4年(1767)11月の造立。豊田郡中野町は、現在の東区中野町です。

 「第四十五町」は「寶暦五乙亥年五月 三州渥美郡畠村 大野屋一左衛門 為榮嶽浄繁信士」。宝暦5年(1755)5月の造立で、渥美郡畠村は、現在の愛知県田原市福江町。

 現在残っている町石の造立はほぼ同時期ですが、下から、宝暦6年(1756)⇒宝暦4年(1754)⇒宝暦5年(1755)⇒明和4年(1767)⇒寛保2年(1742)。

 町石の「第」の文字の上に刻まれている記号のようなものは、「光明山」の1字、「光」の角字で間違いないと思います。江戸時代の中頃に流行した縁起の良い字体。単純で画数の少ない「光」の文字も、カクカクと隙間なく幅広の線で埋め尽くすと、こんな感じになります。

 町石を確認し、林道光明線に出てしばらく舗装された道を歩くと、「⇒麓橋へ(精進淵)」の案内看板が。このまま林道を歩いて行けば、車を止めた麓橋口からは遠く離れてしまいます。

 初めて歩く道ですから不安ではありましたが、山の作業道らしいこの道を下ることにしました。結果的にはこの道を約25分下り、見覚えのある林道光明大沢線に合流。出発してから約3時間後には、車に戻ることができました。

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