参道をグングン進み、旧道は一旦、林道光明線へと出ます。そこからすぐに「光明山旧道→」の案内に従って進んだ辺りで、水が流れる音が聞こえて来ました。湧水です。
光明山には古井戸がいくつか残っています。その他にも、明星水や延命水などの名前が付けられた湧水があり、かつて山頂付近の寺や宿坊、茶屋などの暮らしを支える命の水になっていました。
今回出会った湧水は岩に差し込まれた塩ビパイプから流れ出て、コンクリート製の受け鉢にはバルブが付いたパイプが出ていましたので、古くからあったものであるかどうかは疑問です。
しかし、受け鉢の奥には「奉納 國家安全」と刻まれた石碑があります。文字が右から左へと流れ、旧字が使われていますので、少なくとも昭和6年(1931)の火災以前、おそらくは大正時代以前のものと思われます。
さて、この道を歩き続けたところ、光明山遺跡のすぐ手前の道へと合流してしまいました。私が以前見た「第四十五町」「第四十七町」「第五十町」の町石はどこに行ってしまったんでしょう?
その答えは簡単。「旧道」と書かれていた案内は、かつての参道を示す表示ではなかったということ。要するに、私が進んだこの道は、途中からはかつて参道から離れてしまっていたようです。