かつて光明寺が鎮座していた地は、現在では「光明山遺跡」と呼ばれます。平成26年(2014))の冬、二俣川に架かる麓橋側からの参道を登ったことがありましたので、紹介させていただきます。
登山口と思われる場所から少しだけ山道に入ると、そこには、「第二町」と刻んだ石が立っています。石塔の形は四角柱の上部が四角錐。「光」の角字のような記号の下に、妙に大きな「第」の文字があり、その下に「二町」と刻まれ、ここが、光明山参道の2丁目であることを教えています。
町石の横には「當國麁玉郡新原村」(現在の浜北区新原)と寄進者の住所を示す文字。反対側には「寶暦六丙子年」と刻まれているようですので、江戸時代の宝暦6年(1756)の造立。
ここが2丁目だとすれば、1丁目は二俣川の近く。町石の南側に残る1対の石積みが、鳥居跡でしょうか?現在では、片側に小さなお堂が建てられ、中には聖観世音菩薩と思われる石仏が納められていました。