光明寺境内下に建てられている「從是光明山道(是ヨリ光明山道)」の石碑。石に文字を刻む時には、先に紙に文字を書き、それを真似ながら1点1画を刻んで行くはず。ところが、文字が紙に書かれた時の筆力や払いのかすれなど、石に刻むには不向きな要素が必ずあります。
そのため、力強く筆を入れたり止めたりする箇所は深く彫り、力を抜きながら払う箇所はスーッと次第に浅く舟底のように彫ったりもして、筆で書かれた文字の雰囲気を伝えようとします。
ところが、この「從是光明山道」の道標を見てください。筆の払い箇所や弱く筆を入れる箇所などは、いかにも筆先が割れたような筋が刻まれています。
経年による風化や、文字をいつまでも読みやすく保つことだけを考えれば、同じ幅、同じ深さで彫れば、それで良いはず。ただ、それでは当たり前過ぎて、粋でないと考えた人たちがいたようです。
この石碑は、そんな石工「又右衛門」が彫った文字。チャキチャキの江戸浅草講中の江戸っ子によって寄進されたものです。