第12回浜背負い祭り⑤―駄賃馬

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年11月23日 05:30

 大井橋を渡り切った場所、西渡商店街の入口に馬頭観音が並んでいます。「浜背負い祭り」の時代行列の先頭を務めたのも馬。昔、馬に荷を背負わせて運ぶことを「駄(だ)」、荷を背負って運ぶ馬のを「駄賃馬、駄馬、荷馬」と呼び、それによって得る対価を「駄賃」と言いました。

 佐久間町の川の港「浜」に荷揚げされた荷物は、「浜背負い」と呼ばれた女性の背に負われて八丁坂を明光寺峠まで。米や塩は、明光寺峠の荷継ぎ場で駄馬の背に載せ換えられ水窪へと向かったのです。

 写真の馬は、そんな「駄馬」と呼ばれた馬。荷を満載した馬は、私たちが想像するよりも小さく見えます。もともと、質の高い優秀な馬は、軍馬として使われる馬。それに対して「駄馬」は人を乗せて早く走らせることのできない、どちらかと言うと質の良くない馬。

 「駄」とは、質の悪い「駄馬」から転じ、質の悪いものを表わす言葉として使われるようになり、「駄菓子」「駄物」「駄洒落(だじやれ)」「駄目」など・・・。この「駄」の字を名詞に冠して、値打ちのないもの、つまらないものの意味を表すようになりました。

 しかし、八丁坂の「駄馬」は、まったくの「無駄」だったのでしょうか?江戸時代の定めでは、1駄は何と36貫=約135キロ。まさか135キロを背負って坂道を歩ける人なんていません。

 「駄馬」と呼ばれても、黙々と荷を背負って文句も言わずに歩く、そんな朴訥なところは山里で暮す人々にそっくりです。

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