さて、肝心な「澤井天白」ですが、薬師堂に向かって左手の1段高い場所の、簡単な覆い屋の中に石碑がありました。碑面に刻まれている文字は「天白神社」ではなく「天伯神社」。浜松市南区河輪には「天泊水神社」と「泊」の字を使っている神社もありますので、この文字の違いは問題ではありません。
しかし、気になるのは「天伯神社」が一体誰を祀り、何を守護している神なのか?
元々が水窪川支流を挟んだ対岸に聳える山の尾根付近にあった「澤井天白」ですから、水神と考えるのには無理がありそうです。沢井に暮らし、津倉山林部で仕事もしていたと言う人によれば「山の神だと思ってた」とのこと。
ある時は水の神、またある時は山の神。祭神も、瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)だったり太田命(おおたのみこと)だったり神社によってまちまちですが、天白神社の分布は、私の住む磐田市堀之内の氏神を含め天竜川流域が中心です。
「天伯神社」の碑には「明治三十年九月吉日」と刻まれ、祭りは9月に行われていたようですが、今では11月に変えられたとのことです。