「澤井天白」が移座されたという薬師堂は、集落のすぐ上の山中。「山」と言っても、野田、中野田、大沼、沢井など奥領家地区の集落は、中央構造線のケルンコル(断層谷)の斜面に点在していますので、ほとんどの人家は斜面に階段状に造られた平場に、山を背にして西向きに建てられています。
薬師堂は青く塗られたトタン張りの小屋。軒下に「薬師堂」の文字が書かれた木札が掲げられていましたが、堂内までは見ませんでしたので、本尊がどんな姿かは不明です。
「薬師堂」は仏教のお堂ですから新しいシキミが供えられていました。しかし、天白神は神道の神。神仏混淆の匂いもしますが、山に暮らす人たちは、そんな面倒なことを考えていなかったのかも知れません。
明治39年(1906)、内務省神社局は一村一社を掲げて神社合祀を推進しましたにもかかわらず、沢井の近くには合祀されていない屋敷神や血縁集団だけで祀る神社などが未だに残っています。