光明山遺跡に残るブラジル移民の歴史①―平野運平

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年06月20日 06:24

 光明山遺跡から1段下がった西の端に、「拓魂」と刻まれた石碑が建てられています。「拓魂」の碑の前には、平らな石板に「UMPEI HIRANO」と刻まれ、人の名のようではあります。

 その下には「KASATO MARU」?船の名でしょうか?「HOMENAGEM ESPECIAL」は英語のようではありませんが・・・。

 「1998.5.23」は、平成10年5月23日に建てられたということ。分かったのはそれくらい。これが、「ブラジル移民の父」と呼ばれる平野運平の功績を讃えて立てられた碑であり、「KASATO MARU」とはブラジル移民船「笠戸丸」のことと知ったのは、自宅に帰って調べた結果でした。

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