水窪と長野県との県境、青崩峠に向かう道の途中には、市指定有形民俗文化財である「木地屋の墓」があり、その隣りには、やはり2基が納められた覆い屋があります。向かって左は合掌姿の石仏ですが、右には「宗吾大神」の文字を刻んだ神号碑。
「宗吾大神」とは、悪税に苦しむ農民を救うため、将軍家綱に直訴し処刑された義民、佐倉惣五郎のこと。惣五郎は千葉県の名主でしたが、零細な山の民たちの拠り所として全国に信仰が広がり、北遠の各所でも祀られています。
「大正九年十一月」と刻まれていますので、大正9年(1920)年には12世帯、70人が住んでいたという遠州最奥の集落、辰之戸(たつのと、たつんど)の人たちによって建立されたものかも知れません。辰之戸は、昭和41年(1966)に廃村となりました。