平成23年(2011)5月27日付静岡新聞に掲載された「市制記念特集 浜松ぐるっと100周年 天竜区」の中に紹介されていた写真「峰之沢インクライン」を覚えていますか?
“北遠の威容”と称された龍山町の峰之沢鉱山(69年閉山)では、傾斜面にレールを敷いた「インクライン」が活躍。従業員やその家族を乗せ、天竜川岸から鉱山まで延長547メートル、高低差265メートルの急斜面を走った。(「静岡新聞」より一部引用)
インクライン 天竜川岸と山上の作業所をつないだ峰之沢鉱山のインクライン(昇降運搬装置)。移動時間が徒歩に比べて大幅に短縮され、作業効率が向上した(1952年=昭和27年版『龍山村勢要覧』より)
そして、掲載されていたのが乗客を満載したゴンドラの写真です。立ち乗り式で格子柵があるだけの構造。傾斜角度は30度に近く、かなりの急勾配だったことが分かります。
久根と並ぶ北遠の峰之沢鉱山での本格的な採掘が始まったのは、明治40年(1907年)久原鉱業(のちの日本鉱業)による買収後。最盛期の昭和30年ごろには、従業員が人口、世帯数ともに旧龍山村全村のおよそ半数を占めるほどに発展しました。
しかし貿易の自由化や鉱量の減少などにより、昭和30年代後半から次第に生産を縮小し、昭和44年(1969年)に閉山し、現在に至っています。
今回の「峰之沢鉱山の遺構を訪ねる」シリーズは、以前「出かけよう!北遠へ」に書いた記事を整理し、もう一度振り返ってみる意味で書き直したものです。