浅間山山頂にあった浅間神社の社殿は、写真のような黒塗りの建物。切妻屋根の建物が2棟前後に連なり、屋根や周囲の壁面は波板トタンで覆われ、防水のため黒いペンキで塗られています。
正面の庇の上には、神社名を書いた掲げられています。文字は「淺間大○○」と左から右へ書かれ、しかも「淺」は旧字。「大○○」の「○○」に書かれていた文字は、八丁坂の道標に刻まれていた「浅間大明神」と同じ「明神」で間違いないと思います。
「浅間大明神」「浅間山」の呼び名は、地元では「せんげんさん」。富士山をご神体として祀っているはずなのに、なぜ「富士」ではなく「浅間」なのか?
この謎には諸説あるようですが、「あさま」は火山を示す古語、あるいはアイヌ語とも言われ、富士山も「あさま」と呼ばれることもあったようです。しかし、浅間山(あさまやま)と言うと、長野県と群馬県との境にある浅間山と混同してしまします。これが、富士山を示す「あさま」が「せんげん」と通称が変化して来た理由とのこと。
浅間神社の祭神が木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)とされていたとしても、それは明治以降の創作。自然崇拝にとって大切なのは、祭神ではなくてご神体だったはずです。