我が故郷の「姫街道」を歩く⑱―落合橋と「宝生地蔵菩薩」
昔懐かしい「落合橋」の名は、都田川と井伊谷川が落ち合う地点にかけられた橋だから。かつては、合流後、浜名湖の一部、引佐細江に流れ入るまでの間を落合川と呼んだこともありました。
ただし、現在の落合橋は、私が気賀小学校に通う時に渡った橋ではなく、当時の橋はもう少し上流部に架けられていました。
さらに遡れば、江戸時代の都田川(落合川)に橋はなく、気賀宿に渡るのは船。落合橋の下流に今も残る曳舟橋の名からも、当時の渡船が想像されます。
落合橋の右岸、気賀宿側には。江戸時代のものとされる「宝生地蔵菩薩」が残されています。石地蔵の船形光背部に刻まれた文字は「右はままつへ三里半」「左秋葉山道宮口へ二里 二俣へ四里」。場所は移されたようですが、かつての姫街道を歩く旅人たちが必ず読んだと思われる道標に、当時の日本人の識字力の高さが窺われます。
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