秋葉山、久保田道を行く②―五番の千手観音坐像と拾番の立像
2体目の石仏の風化は激しく、千手観音であることから推測すれば、西国三十三所の4番「施福寺」、5番「葛井寺」、6番「南法華寺」のいずれかだろうと思います。ただし、坐像の千手観音となると5番札所の「葛井寺(ふじいでら)」が思い当ります。
だとすれば、読めなくなっているご詠歌は「まいるより たのみをかくる ふじいでら はなのうてなに むらさきのくも」。寄進者名は「當所 三良四○」でしょうか?
次の石仏も千手観音。「拾番」の文字が読めますので、「拾番」札所の三室戸寺(みむろとじ)。先の千手観音が坐像であったのに対し、こちらは立像。ご詠歌は「よもすがら つきをみむろとわけゆけば うぢのかわせに たつはしらなみ」と刻まれているようです。
造立年「文化十一年」は西暦1814年。寄進者は「當所庄吉」と読めます。「當所」とは「当所」の意味。「庄吉」さんとは、一体、どこのどなただったのでしょうか?
さて、ここで久保田道は一旦、林道久保田線で寸断されていますので、しばらく舗装された道を歩き、上を目指します。この後は、尾根道に出るはずですが・・・。
関連記事