秋葉山、久保田道を行く①―西国三十三所三番札所「粉河寺」
私が浜松市天竜区宮川の久保田道を歩いたのは、平成25年(2013)の冬。道には、石仏が並び、久保田と秋葉山とを結ぶ古道として一時注目を集め、「秋葉山の裏参道である」と考える人たちもいたようです。
「いたようです」と書いたのは、私自身はその説に若干の疑問を感じていたから。「古道」の言葉に、必要以上な歴史的価値を添付しているような気がして抵抗があります。
しかし、実際にこの道を踏破してみないことには、私の疑問も単なる思い込み。自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の感性で感じ、自分の頭で考えてみようと思いました。
久保田の杉浦製材所横から山道に入ります。早速、合掌姿の石仏が現れました。足元が失われていますが、先ずは、この石仏を調べてみましょう。
文字は大変読みづらくなっていましたので、写真に撮って拡大して解析。向かって右下に「三番粉」、左下に「文化十一年」と「當」が読み取れます。
「文化十一年」は西暦1814年。この石仏を西国三十三所の札所の写しと考えれば、「三番粉」は「三番粉河寺」と考えられます。そして、粉河寺(こかわでら)の本尊である千手観音を刻んだものと想像できます。
ひらがなで刻まれたご詠歌は「ちちははの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや」でぴったり。1文字1文字の判読は難しいのですが、まず間違いありません。「當」は「當所」と寄進者の名が刻まれていたと思いますが、残念ながら失われています。
印象としては、山仕事の作業道とは違い、おそらくは秋葉大権現を経ずに往来した流通の道のような感じです。さらに、この秋葉信仰とは無縁の石仏が並べられた時期についても、明治以降のような気がします。
そんな先入観で武装し、久保田道を辿り秋葉山を目指しました。
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