水窪・山住家のそそり立つ石垣
水窪に残る「西浦田楽」―「西浦」と書いて「ニシウレ」と読みます。同様に、向市場から山住に向かう山道の途中に「河内浦(コウチウレ)」の集落があります。「ウレ」には、「谷」とか「行き詰まり」の意味があるそうです。「河内浦」は、まさにそんなところ。その「河内浦」に巨大な石垣を構えた家があります。
これがあの山住家の屋敷です。明治の中頃の河内川の氾濫の後、当時の当主が築いたのが、この幅60メートル、高さ15メートルのそそり立つ石垣。見上げてみてください。まるで城砦のようです。
「石積記念 山住雪江 山住重治 石工大沢丑太郎 同平出寅一 明治三十七年六月十日」
石垣の基礎部に組み込まれた石に彫られた文字です。これほどまでの石積みを成し遂げたとなれば、石工にとっても一世一代の大工事。「石積記念」の珍しい記念碑が、自慢げに納まっていました。
関連記事