遠州横須賀の町歩き④―本丸跡と三日月池

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2017年12月10日 05:15

 横須賀城の天守閣は、40坪ほどの広さに4層の天守閣があったと言われています。天守台の石垣は低く、北側に見える土塁は防御のために築かれたようです。

 近くにあった再現模型を見れば、横須賀城の縄張りがよく分かります。

 現在も残る三日月池が外堀の跡と思ったのですが、外堀はさらに外側にあり、土居道を挟んですぐ外側まで遠州灘の入り江だったようですから、海上交通の便もよかったことが分かります。

 入り江が干上がったのは宝永4年(1707)の大地震の影響。その後、湊の機能は失われましたが、福田の太田川まで達する運河を建設し、福田湊を利用しての舟運を確保したとのこと。

 明治維新により横須賀城は廃城となり、その後、民間に払い下げられたりして原型が失われかけていましたが、昭和56年(1981)に国史跡に指定されて遺構整備が進められ、現在のような城跡として復元されました。

 【関連記事】遠州横須賀の町歩き①―防火水槽と北外堀
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き②―北の丸跡と松尾山
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き③―玉石積み
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑤―松尾町と「櫛松」紋
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑥―カクイ池田屋酒店
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑦―愛宕下羊羹
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑧―割烹旅館「八百甚」
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑨―三熊野神社本殿
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑩―奉納額と絵馬
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑪―神紋「右三つ丁子巴」
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑫―八咫烏
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑬―秋葉山常夜燈と防火井戸
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑭―ナギの木
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑮―栄醤油
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑯―「山正」の花模様プレス板ガラス
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑰―松本医院
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑱―JOCKラジオ聴取章
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑲―波模様の軒瓦
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き⑳―飾り瓦の「立物」
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き㉑―山中酒造
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き㉒―清水邸
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き㉓―左桟瓦
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き㉔―欄間の風景
 【関連記事】遠州横須賀の町歩き㉕―屋号紋

関連記事