秋葉山表参道の13丁目付近に建てられた常夜燈には、「當国安間村 金原久右衛門」の銘が刻まれ、あの金原明善翁の父君が寄進したものとされています。
ところが、明善生家で拝見した「金原明善家系関連年表」によれば、金原家の当主は天正18年(1590)生の初代から代々「久右衛門」を名乗り、七代目当主に当たる明善翁の父はもちろん、明善自身も八代久右衛門と書かれています。
さて、そうなると、話はややこしくなって来ます。
明善翁の父、七代久右衛門が生まれたのは文化5年(1808)6月。この常夜燈が寄進されたのは、嘉永5年(1850)2月ですから、当時42歳。天保3年(1832)6月生の明善は18歳で、幼名・弥一郎から明善を名乗るようになったばかりでした。
・・・と考えると、確かにこの常夜燈の寄進者は、明善翁の父君に違いありません。