石畳の坂道を四阿(あずまや)で左折。そこから古い石畳と石段の参道を行くと、「五丁目 金明嶺」の鳥居があった場所に出ます。戦時供出により銅板を剥がされた鳥居は残されてはいませんが、「江戸三河町壱丁目 講中」の文字が刻まれたかなり大きな石燈籠が残っています。
この燈籠の竿に刻まれた「永代 常夜燈」の文字の、「燈」の字の「火」偏が少し小さく彫られているとは思いませんか?
ここからは私の説ですが、火防の神である秋葉山の「常夜燈」ですから、「火」を小さく書くことにより、火防への願いを込めたのだろうと想像します。寛政7年(1795)、現在の千代田区内神田1丁目と神田司町2丁目、神田美土代町付近にあった「江戸三河町壱丁目」の人たちが、江戸っ子らしい粋なアイディアで「火」偏の小さな「燈」の字を彫らせたに違いありません。
さあ、ここを右折すると、未舗装の山道に差し掛かります。