水窪の古い絵葉書「郷土の勇士へ」③―「慰問袋競争 一品も多く戰地の夫や兄弟へ」

AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん

2019年12月18日 05:37

 水窪の古い絵葉書「『郷土の勇士へ』興亞全町体育大會繪はがき 水窪町十五奉公會」の中の1枚に、「慰問袋競争 一品も多く戰地の夫や兄弟へ」と題されたものがありました。

 実際に「慰問袋」を送ったことがある人、受け取ったことがある人もいらっしゃるとは思いますが、「慰問袋」の名前すら知らない若者が圧倒的に多いはず。聞いたことがある人も、初めて聞いた人も「慰問袋」とは・・・?

 「慰問袋(いもんぶくろ)」とは、戦地に派遣された出征兵士に宛てて内地から送った布袋で、中には御守りや日用品、手紙などが詰められました。また、甘納豆、ボーロ、金平糖などのお菓子も詰められたとのことで、元々はオランダ語の「bolo」であったボーロには「亡露」の字が当てられ、「慰問袋」に好んで詰められたそうです。「征露丸」みたいなもの?

 私も勘違いをしていたのですが、戦時中はずっと「慰問袋」なるものが存在したと思っていました。ところが、「慰問袋」が送られていたのは、日本軍が東南アジア方面の制海権や制空権を保持していた昭和17年頃まで。戦局が悪化し輸送船が撃沈され、物資不足のため内地でもすべての物資が配給制となり、食料弾薬運搬が最優先されるにつれて、「慰問袋」は廃止されていました。

 「一品も多く戰地の夫や兄弟へ」の宛てがある人も、宛てがない人も、大陸で戦う兵士のために「慰問袋」を送ることが「銃後に残された女性」の義務と考えられていました。

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