あいにくの雨となった磐田市白羽の白羽神社祭典「白羽の天狗祭り」の御旅所前に揚げられた「白羽神社御祭典」の幟はぐっしょりと濡れてはいましたが、「明治三十四年九月 氏子安全 正四位長谷川貞雄謹書」の文字がしっかりと読み取れます。
すでに何度か紹介した長谷川貞雄は、「遠州報國隊」に参加した神官の1人。東征隊大総督有栖川宮熾仁親王に従って江戸に入り、その後、大久保春野らとともに東京に留まって招魂社の神官を務め、明治新政府の海軍主計総監、海軍省第三局長として活躍。勅選貴族院議員も務め郷土の偉人です。
そんな長谷川貞雄が書いた扁額が、白羽神社拝殿にもありました。書かれている文字は「萬里江」。その左には「貞雄書」と書かれ、あの長谷川貞雄が書いた文字に違いありません。
「萬里江」の文字の意味について地元の
松下さんに尋ねたところ、「遥か万里の彼方の世界へ続く湊(みなと)の意味だろうと思っている」との回答。「サスナカ」の屋号を持つ「中屋」の松下家は、旧長上郡掛塚村白羽の廻船問屋でした。