諏訪立川流が好んだ「粟穂に鶉」①―掛塚新町屋台の脇障子
磐田市見付の旧近江屋呉服店にあった高林與三郎作「粟穂に鶉」の彫刻欄間を紹介した時に、「諏訪の宮大工、立川流の好んだ意匠」と書かせていただきました。
鶉が粟の落ち穂を啄ばむ図柄は、豊穣な実りへの願いを込めた題材。代々の立川和四郎が携わった建築には、必ず「粟穂に鶉」の彫刻があるとも言われるほど。私がこれまでに見た「粟穂に鶉」を紹介することにします。
先ずは、地元の掛塚から。「掛塚まつり」で曳き回される新町屋台も諏訪の立川和四郎作と伝えられ、三代冨重とその弟・冨種の共同製作と考えられています。
「粟穂に鶉(うずら)」が見られるのは、屋台後方の左右の脇障子。天竜川水源の地、諏訪の宮大工の技が、213キロ下った河口の街、掛塚に今も残されています。
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