本町屋台の棟梁は鈴木傳重郎。掛塚の大工たちには諏訪立川流への憧れが強く、本町では諏訪に使いを送り、屋台の建築を依頼したようです。その成果が、立川専四郎冨種作の彫刻。正面の鬼板の「須佐之男命」と懸魚「龍」、欄間の「獅子」などです。
立川専四郎冨種は二代目和四郎冨昌の次男。和四郎を名乗ることはありませんでしたが、冨昌は冨種の力量を認め、実際に父に代わって手がけた彫刻も多いとのことです。
この鋭い鑿痕を見れば、掛塚の大工たちが立川流に憧れた理由が分かります。そして、他の彫刻を手がけたのは、後藤岩五郎と鈴木傳重郎。明治12年(1879)から約10年かけて現在の形に完成した本町屋台は、諏訪立川流から掛塚の匠たちへと技術が継承された時代の証とも言える屋台です。