冊子「立川流の技が今に息づく 掛塚まつり」(掛塚まつり本部資料調査部編集)の記述によれば、「掛塚に現存する屋台の中で、最も古いのは大当町の屋台」とされ、「立川和四郎(冨棟)が旧竜山村の東福寺観音堂を作り、その後、掛塚の大当町へ来て屋台を造ったと伝えられている」とのこと。寛政10年(1798)に造られた屋台が、鬼板や懸魚に金箔が押され、230年経った今でも秋の陽を照り返して輝いています。
金箔を押された鬼板や懸魚は、名古屋の彫師、彫雲堂吉門と片桐兵助の作とのこと。立川流らしさを感じさせる意匠は、脇障子「松の虎」。明治13年(1880)四代目立川和四郎冨惇作と伝えられています。
天竜川を下って良材が集積した掛塚はまた、東西の文化、技術の集積地。そんな掛塚だからこその祭り屋台。真の豪華さとは決して大きさや煌びやかさではなく、手を抜かず細部にまで意識の行き届いた仕事の組み合わせと積み重ねです。