そして、縣藤七郎の「懐恩碑」の最初の1行には「貴族院議員従四位勲三等長谷川貞雄題額」の文字が刻まれていました。
明治38年(1905)に他界した長谷川貞雄の最終的な位階は「従三位勲二等」でしたが、「懐恩碑」の文字を書いた明治32年(1899)には「従四位勲三等」。同28年(1895)には東京から浜松市松城町に移住していました。
森田町にある縣藤七郎の「懐恩碑」は、縣藤七郎の功績を讃える記念碑であるのはもちろんですが、磐田市川袋で育った郷土の偉人、長谷川貞雄を知る者にとっては、その名が刻まれた貴重な史料と言えると思います。