浜松市中区森田町にある縣藤七郎の「懐恩碑」に長谷川貞雄の名が刻まれているとの情報を得ましたので、現地に向かいました。
「情報」と言っても、森田町にある石碑と言うだけのこと。どこにあって、どのくらいの大きさのものかなどについては、まったく予備知識はなし。見つけられるのかどうかも不安でしたが、ありました!
「懐恩碑」は縣家の前に建てられたとの情報でしたが、縣家はすでにありません。
碑文の文字を辿ってみると・・・
安政5年(1858)、「往時濱松城西伊場村」へ引佐の井伊谷から有志たちと移住して来た縣藤七郎が、草を刈り石を除いて「有廃田十餘頃」を開田することに成功し、屯田の意から「毛利多⇒森田」と地名を付けた・・・。
その功績を讃えて「明治三十二年歳次己亥暮之春」に建てられたのが、この「懐恩碑」。藤七郎が他界したのは明治29年(1896)「八十八翁」とありましたから、ずい分長生きをしたようです。