長谷川貞雄が呼びかけ、当時の五社神社境内に建立された「戊辰之役報國紀念碑」には、川袋・八雲神社の神官の職を貞雄に代わって引き継いだ同じ長谷川一門の貞敦の名も刻まれています。
ただし、長谷川貞敦は遠州報国隊の隊員として参加したとはされていません。貞敦の名が刻まれているのは「寄附者」の欄。金額は「金三円」ですが、貞雄の呼びかけに呼応して寄付した浄財です。
「戊辰之役報國紀念碑」にびっしりと刻まれた名前を調べて行けば、討幕を成し遂げ、明治新政府推進の大きな原動力となった遠州報国隊が、さらに詳しく見えて来るのかも知れません。