「遠州報国隊」の記念碑は、浜松市東区北島町、松隠庵前でも見ることができます。
この記念碑は「戊辰之役 報國隊記念碑」と刻まれ、「靖国神社宮司賀茂百樹書」とありますので、文字は靖国神社宮司だった賀茂百樹(ももき)が書いたものです。
山口県出身の賀茂百樹は、遠州国学を大成し「遠州報国隊」に大きな影響を与えた賀茂真淵(まぶち)の末裔で大久保春野の跡を受けて靖国神社の2代目宮司となった賀茂水穂(みずほ)の養子となったとのこと。その後を継ぎ、百樹が3代目宮司を務めることになりました。
石碑の裏面には・・・
報國隊 大橋治郎
春來大總督ニ随従致シ不一方勉勵之段神妙之
至ニ候今般東北平定ニ付歸國申付候得共緩急
奉公可致旨御沙汰候事
十一月 軍務官
大正十三年三月 大橋 巖建之
・・・とあり、五社公園にある「戊辰之役報國紀念碑」(左写真)や天王町でみた「赤心報國」の碑とまったく同じ帰国命令書の文面。この記念碑が大橋次郎の業績を顕彰し、大正13年(1924)3月、大橋巌によって建立されたことが分かります。
磐田市歴史文書館(磐田市役所竜洋支所2階)で開催された企画展「遠州報国隊と近代の日本~激動期を生きた神官と幕臣~」に掲示されていた「報国隊員部属」によれば、大橋治郎(島太郎)は「玉かかり兼武器」として名が挙げられていました。
なお、當龍山松隠庵は曹洞宗のお寺。「戊辰之役 報國隊記念碑」が建てられているのは、境内の外側です。