私立誠心高等女学校(後の誠心高等学校、現浜松開誠館の前身)の創立者の長谷川鐡雄は、長谷川貞雄の四男。東京に留まった貞雄から幼くして離れ、現在の浜松市中区松城町にあった長谷川家を嗣ぐために転住していました。
鐡雄の功績としては、女学校や浜名水力電気株式会社の創立し、県内初の弁天島プール建設にも尽力しました。また、日本初の旅客機天竜10号を製造した福長飛行機製作所の社長にも就任しています。
大正8年9月、現浜松市南区飯田町出身の福長浅雄が福長飛行機研究所を設立したのが、掛塚だったのも不思議な縁。滑走路は南北500メートル、天竜川の河原だったのです。
古い絵葉書には「福永式飛行機」と書かれていますが、正しくは「福長」です。