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2018年06月13日

笑顔いっぱい「いじゃまいかけつか」④―勇次郎・丑五郎の碑と松林寺

鈴木勇次郎顕彰碑と鈴木丑五郎翁寿碑 次の立ち寄り地は稲荷社。そして電柱が気になる県道259号を歩いて北へ向かい、香集寺西の県道脇に建てられた鈴木勇次郎顕彰碑と鈴木丑五郎翁寿碑を案内させていただきました。

 鈴木勇次郎は、掛塚生まれの平野又十郎の家であった「森岡の家」を建てた名工。掛塚に残る又十郎生家(林家住宅)も勇次郎が建てたものでした。現在、その一部は浜松市東区大蒲町の「六軒京」の店舗住宅として利用されています。

 そして、この碑に刻まれた篆額の文字「鈴木勇次郎翁寿碑」を書いたのが、討幕の官軍と行動をともにした遠州報国隊に参加し、後に海軍主計総監を務めた長谷川貞雄。碑文には、鈴木勇次郎の業績について、掛塚にある貴布禰神社(貴船神社)のほか、浜松の銀行や製糸、製帽会社も勇次郎が建てたものと刻まれています。

「寄附者 掛塚港 鈴〇丸 海上安全 舩長 大手〇九郎」の文字を確認 そして、鈴木丑五郎は荷車製造や醤油醸造業。発明や工夫が好きだったらしく、もぐら捕獲機、酒粕蒸留器なども考案したと言われています。また、村会議員、掛塚農会長、葉煙草収納組合長など多くの公職に就いた人物です。

 この後、「まちめぐり」一行は、香集寺への立ち寄りを後に回し、川袋の松林寺へ。手水鉢の石に刻まれた「寄附者 掛塚港 鈴〇丸 海上安全 舩長 大手〇九郎」の文字を確認し、掛塚湊繁栄の面影を感じていただきました。

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